2019年4月30日をもって、“平成”が終わります。この時代にはどんなゲームがあり、何があったのでしょうか?
連載「平成ゲームメモリアル」は、そんな年号の中で起きた、ゲームの出来事についての座談会です。さて平成とは、別の見方をすれば20世紀の終わりを見届けた年号とも言えるでしょう。平成のゲーム史を振り返ったとき、それはゲームハード戦争がもっとも苛烈な時代でもありました。
そのころ青春時代を送ったライターたちにとって、あらためてゲームハード戦争とはなんだったのでしょうか?第2回では、当時遊んでいたハードの思い出を中心に語ります!
21世紀最後の10年、ライターたちはどのハードを遊んでいた?
葛西祝今回はジャンル複合ライティング業者の葛西祝が司会させていただきます。第2回は21世紀に入る前の、1990年~2001年までのゲームハード戦争の頃に遊んでいたゲームがテーマになります。きな臭くならないように行きましょう。
自分はスーパーファミコン(以下、SFC)、プレイステーション(以下、PS)、NINTENDO64(以下、N64)をメインにしてました。サブとして、セガサターン(以下、サターン)とドリームキャスト(以下、ドリキャス)を遊ぶという、やや覇権ハード寄りでしたね。
末永よろしくおねがいします。インサイドの末永です。同じく覇権よりで、SFC、PS、N64、ゲームボーイ(以下、GB)あたりを触っていました。
SHINJI-coo-K今回からお読み下さる皆様のためにも改めて自己紹介を。昭和中後期に生まれて平成をゲーマーとして生きた男、ヒップホップジャンルの作曲業とフリーランスゲームライターの兼業家SHINJI-coo-K(池田伸次)です。(※以下SHINJI-coo-K)Game*Sparkでは主に特集やレビュー、こういった座談会に出席させて頂いています。当時、1995年あたりはまずセガサターンを購入していました。
G.Suzukiミリタリー系ゲームが好きなライターのG.Suzukiです。自分も90年代はPCエンジンとSFC、PSが中心でした。
20世紀最後の10年―多くのハードが群雄割拠していた時代
葛西祝ぼくらは普段からインターネットでゲームの情報を見てますけど、ネットでは任天堂、ソニー、マイクロソフトといったゲームハード戦争って延々と続いているイメージありますよね。でも本当にハード戦争が苛烈だったのって、インターネットが広まる以前の、20世紀が終わる前の10年ほどなんじゃないかって思うんですよ。
G.Suzuki確かにそんな印象がありますよね。SFC一強という時代から新しいハードが登場して各社の競争が盛り上がっている時期でした。任天堂やNEC、セガ、そして新参者としてソニー(当時はソニーコンピュータエンタテインメント)とあって、活気づいていたのを覚えています。
葛西祝当時はゲームメーカー・玩具メーカーがどんどんハード戦争に参入してましたね。対戦格闘に強いゲームメーカーのSNKがネオジオをリリースしたり、バンダイもプレイディアや、アップルと共同でピピンアットマークを開発したりしていました。今で言えば、ガンホーやCygamesがゲームハードを作るような感じでしたよ。
G.SuzukiPSが1994年12月3日に発売、サターンが1994年11月22日に発売と、2大巨頭のリリース時期を書き出していても、いかに両者が接戦というか、一歩先へ行こうとしていたのが感じられますね。
葛西祝90年代のはじめは、特に任天堂とセガの競争が印象に残ってますね。SFCをメインに遊んでいた子供のころ、叔父の家に遊びに行ったときにメガドライブがあったんです。そこで『ソニック・ザ・ヘッジホッグ』に触れ、スピード感を武器にしたアクションに驚きましたね。このスタイリッシュさで、スーパーマリオに立ち向かおうとしてるんだ!と感じました。
メガドライブはどこかクールというか、ハードなゲームを取り扱ってる!っていう風に見えていましたね。特に『ガンスターヒーローズ』は射撃だけじゃなくて投げもある、爆弾も投げ返せる!とバラエティのあるアクションで、「こんなゲームやったことなかったぞ」って感じてました。
SHINJI-coo-K「大人も子供もお兄さんもお姉さんも」なSFCと、ゲーマー向けのメガドライブ、みたいな棲み分けが行われていたように思います。
末永まだクソガキでしたが、PSとN64に関しては「こいつぁすげえぜ」みたいな感じでした。サターンやメガドライブは、しばらく存在に気付かなかったんです……友人が誰一人として持ってなかったんですよね。セガ系ハード。
G.Suzukiメガドライブやサターンの存在は、小、中学生の時にできた友達の家で、初めてその存在を知った感じでしたね。それまで雑誌の写真でしか知らない事が多かったです。
SHINJI-coo-K……今のやり取りからして、いかに当時のサターンユーザーがアイデンティティに苛まれていたかという話ですね。今回の座談会参加者で、僕以外リアルタイムでメインに据えていた方がいないという……。
結果的にセガサターンはハード競争に敗れてしまいましたし……なんというかサターンユーザーとしての気持ちが蘇ってきました……ひょっとしたらゲームハード戦争の根っこって、この自意識なのでは……僕たちを守ってくれた、せがた三四郎さん!これが21世紀ですよ!聞こえていますか……!
葛西祝あっまずい!ちょっときな臭くなってきてる!
SHINJI-coo-K自分はハード競争の時代は、サターンから入ったんです。アーケードで稼働していた『バーチャファイター』が1994年(平成六年)にサターンで発売されるということで買ったんですね。当時は格ゲープレイヤーだったのであまりの衝撃にやられたという感じです。
G.Suzuki「バーチャファイターの衝撃」は色々なところで話題に上がりますよね。自分は3Dゲームに本格的に触れたとなると、PSのローンチタイトルで父が本体と一緒に買ってきた『リッジレーサー』でしたね。
葛西祝ハドソンのPCエンジンも、振り返ってみれば先進的だったと思うんですよ。SFCやメガドライブとは違って、後の時代を先取りした試みがいくつもあったハードだったと思います。ソフトがCD媒体だったり、アニメとRPGを融合させる『天外魔境ll 卍MARU(以下、天外魔境ll)』のような試みがあったり。
SHINJI-coo-Kそうですね、友人宅に遊びに行ったときに『天外魔境II』のオープニングムービーを見せてもらったことがあって、喋る、アニメーションする!って具合で、衝撃を受けました。
葛西祝「SFCとは文明が違う!」って感じたソフトのひとつでしたね(笑)。ファミコンからSFCの流れだと、ゲームで人が喋っているだけでも衝撃的だったんです。さらにアニメとゲームが融合している豪華さですよね。あ、「波動拳!」って叫ぶ『ストリートファイターII』とかは別として(笑)。掛け声は効果音ということで。
G.Suzukiそうですね。PCエンジンのCD-ROM(2)ゲームを挙げるなら、『宇宙戦艦ヤマト』も外せません。HUMANによる同名のアニメ作品のゲーム化で、オープニングや劇中のアニメ表現も含めて本当に素晴らしかったです。先に父の持っていたLDでオリジナルの「宇宙戦艦ヤマト」を見ていたため、ちょっとした比較が出来たのも大きかったですね。
葛西祝そんなPCエンジンのキラータイトルだった『天外魔境II』も、SFCに対抗しようとしていた逸話を総監督を務めた桝田省治さんが語っていますね。SFCは回転・拡大・縮小機能が売りのひとつだったじゃないですか。『天外魔境ll』でもそれができるところを見せたくて、OPでなんとか回転・拡大・縮小を見せられる演出をしようとしたという。
スタッフと相談の結果、「回転・拡大・縮小の対象物は単純なもの。できれば幾何形態。理想は球体。」と言われ、ふたつの球が宇宙空間を舞うOPになったそうです。それに合わせて「設定はその後で辻ツマ合わせた」と語っていますね。ある意味ハード戦争が名作を作ったと言えるかもしれません。
SHINJI-coo-KSFCが競合ということで、タイトルロゴの一部を回転させることをなんとか行った、という話を『天外魔境II』の重要スタッフである岩崎啓眞さんが語っていらっしゃいましたね。
G.Suzuki他にもPCエンジンのタイトルを挙げるなら、やっぱり小島秀夫監督の『スナッチャー』ですね。ちゃんとプレイしたのは98年の『メタルギアソリッド』プレイ後でしたが、登場キャラクターに「メタルギアMk.2」が存在するなど、いくつか共通点がありました。なのですぐに世界観に入り込めて、とても面白かったですね。ただあれが、一応の完結にたどり着いたPCエンジンのCD-ROMantic版ということを知ったのはもっと後でした……
末永PCエンジン……正直Wiiのバーチャルコンソールかなんかで名前を聞くまで、どんなハードでどんなソフトが有ったのかすら知らなかった……。
SHINJI-coo-Kやっぱり「スーパーファミコンとそれ以外」みたいな認識が一般的だったのかもしれませんね。そもそも自分はファミコン、GB、SFCと王道を歩んでいたんですが、異文明のPCエンジンを紹介されてそれに魅了されてしまったクチですね(笑)。それで後年セガサターンを買う道へと……。
葛西祝末永さんが挙げたように、WiiのバーチャルコンソールもPCエンジンやメガドライブの時代を後から確認しなおせるのが、よかったですよね。メガドライブで名作だって聞いていたけれど、当時手に入らなかったトレジャーの『エイリアンソルジャー』を遊んで「めちゃくちゃ完成されてるよ!」みたいな。
SHINJI-coo-Kそうですね、過去の名作にあとから触れられる環境が作られたのは非常によい取り組みだなと思いました。
次のページ:1995年からビデオゲームの価値観が変わった
https://www.gamespark.jp/article/2019/03/17/88225.html
2019-03-17 09:00:03Z
52781615836544
Bagikan Berita Ini
0 Response to "平成ゲームメモリアル第2回「本当のゲームハード戦争の時代を話そう―“ハードが無くなる”トラウマ」 - Game*Spark"
Post a Comment