太陽系や生命の歴史を解き明かすため、地球から約3億キロも離れた小惑星「リュウグウ」を訪れていた探査機「はやぶさ2」が、2020年12月の地球帰還を目指して小惑星を発進した。
はやぶさ2の2019年は、リュウグウへ2度着陸するなど挑戦に次ぐ挑戦の1年だった。いずれも大成功をおさめ、「順調な旅」に映るかもしれない。
しかし、実際は着陸を断念する可能性もあったほど、苦闘の連続だった。高く厚い壁を乗り越えられたのは、プロジェクトメンバー約600人の執念ともいえるチーム力があったからだ。
神様の意地悪?やつれるプロマネ
はやぶさ2は、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が開発した軽自動車ほどの小さな無人探査機。
2014年12月、鹿児島・種子島宇宙センターから宇宙へ旅立った。
旅の目的は、地球と火星の間にあるリュウグウへ行き、リュウグウの物質を地球へ持ち帰ること。リュウグウを選んだ理由は、有機物や水が多くある可能性が高いから。
有機物は地球の生命のもと、水は海のもとになったかもしれない。リュウグウの石や砂を地球へ持ち帰り、直接分析できれば、生命の起源に迫る発見が期待できる。
3年半の航海を経て、はやぶさ2は2018年6月にリュウグウへ到着した。ここまでは、確かに「順調な旅」だった。
しかし、目の前に現れたリュウグウは、想像とまったく違った。
ジャガイモのような形と予想していたが、そろばん玉のよう。さらにプロジェクトチームを困惑させたのは、表面がゴロゴロと大きな岩だらけだったこと。平らなところがどこにもなかった。
はやぶさ2は表面の石を採取するとき、機体の下についている長さ約1メートルの筒のような装置を小惑星に押し当てて弾丸を撃ち、舞い上がった物質を取り込む。
筒は接地するとばねのように縮むため、そのときの筒の高さ(約65センチ)より大きな岩があると、本体がぶつかって壊れる恐れがある。
はやぶさ2には、100メートル四方の広さがあれば着陸できる能力はあったが、そんな広い場所は一切なかった。
津田雄一・プロジェクトマネジャーは「リュウグウが牙をむいた。よりによって、なぜリュウグウがこんなに厳しいのか。神様はなんて意地悪なんだ」と天を仰いだ。
「100メートル四方」を想定したのは、過去に探査されたいくつもの小惑星で、それくらいの広さの平らな場所が必ずあったからだった。
「リュウグウにもあるはず」という先入観が裏目に出た。チームは、2018年10月に計画していた最初の着陸を2019年へ延期した。
津田さんは「リュウグウのデコボコが、はやぶさ2の能力よりも上だった。答えが出ない時期が長く続き、何もしないで終わってしまうのではと感じることもあった」と話す。
その時期のインタビューで、津田さんはこんな風に語っていた。
「最近変な夢を見るんです。リュウグウの表面に立ち、岩をかきわけながら平らな場所を探している。岩を動かそうとしても動かない」
周囲は「あの頃、津田さんはかなりやせた」と振り返る。
着陸のカギは「往復ビンタ」
しかし、チームはあきらめなかった。
想定していた着陸精度は、上空20キロから甲子園に降りるくらいだったが、現実はそのマウンドに降りるような精度が必要になった。
3億キロかなたにいる探査機を、針の穴を通すようなピンポイントで目的の場所に連れて行かねばならない。
10月下旬、灯台のように探査機の目印になる直径10センチほどのボール「ターゲットマーカー(TM)」をリュウグウへ投下した。
実際に表面へ近づくことで、探査機やTMの振る舞いから、探査機のより詳しい性能、リュウグウの重力、表面の状況を把握できると考えられた。
ここから難敵・リュウグウに対するチームの反撃が始まった。
はやぶさ2には、探査機の運用を主に担当する「工学チーム」と、科学的な観測・分析を担当する「科学チーム」がある。
工学チームは、はやぶさ2を正確に狙った場所へつれていくため、「今こそ死力を尽くすとき」(大野剛・研究開発員)と覚悟を決めた。
はやぶさ2は12個ある小型のエンジンを噴き分けて移動したり、姿勢を直したりする。「どのエンジン」を「どれくらいの時間」噴けば、探査機を思い通り動かせるのか。
照井冬人・主幹研究開発員らが中心となり、エンジンの「くせ」や探査機の姿勢によって変わる機体の重心を、徹底的に調べ上げた。
探査機の新たなコントロール術も編み出した。
いきなりターゲットへ誘導するのではなく、あらかじめ設定した「枠」へつれていき、その枠から外れそうになったらまた内側へ戻すことで、徐々にターゲットへ近づける。
枠にぶつかったら内側へ、反対の枠にぶつかったらまた内側へ、と探査機を動かすことから、照井さんは「往復ビンタ制御」と名付けた。枠を徐々にせばめ、探査機の誘導精度は飛躍的に向上した。
さらに、科学チームから声が上がった。「岩の影からその高さを割り出せる」。
諸田智克・名古屋大講師(当時)が、はやぶさ2が撮影したリュウグウの写真をもとに、数万個の岩の影の長さからその高さを割り出した。
工学チームから「もっと正確な高さが知りたい」と聞かれて再計算したり、「あと10センチ削れないか」と言われたり、岩の左側と右側の高さの違いを求められたり……。そんな途方もない手間をかけて、リュウグウ表面の精密な立体地図ができていった。
着陸を祝う「花吹雪」
それでも着陸作戦の検討は暗中模索が続いいていた。年の瀬の迫る12月27日、一つのアイデアが浮かんだ。
はやぶさ2は高度計で地表の傾きも把握するが、装置がはじき出す傾きが間違えば、機体が岩にぶつかる恐れがあった。
かなり正しい立体地図ができていたため、高度計は高度だけを測るようにする、という変更だった。すでにいくつものアイデアを出しては「できない」という結論が続いていた。
津田さんは「最後の一手だった。これがだめだったら着陸は厳しかった」という。翌年1月7日、探査機を開発したNECの担当者から「できそうです」という返事が届いた。ようやく着陸への入り口が開いた。
では、どこへ降りるのか。
TMの東の比較的平らな場所は、TMから約4メートルと近いものの、はやぶさ2が太陽電池パネルを広げた大きさと変わらない幅6メートルしかなかった。北西に幅12メートルの平らな場所があったが、TMから15メートルも離れていた。
「近くて狭い場所か、遠くて広い場所か」
TMから離れるほど誘導の誤差は大きくなる。チームは「近い方」にかけることにした。
探査機の運用全体をまとめる佐伯孝尚・プロジェクトエンジニアは「最後まで疑心暗鬼だった。
だから、しつこいくらい訓練をやって、しつこいほど観測して、しつこいほど議論して、しつこいほど準備した」という。
2月22日、はやぶさ2はリュウグウに向かって降下し、午前7時半ごろ、リュウグウへタッチする時刻を迎えた。
地球とリュウグウは約3億キロも離れているため、地球とはやぶさ2の通信には片道約20分かかる。
同50分ごろ、はやぶさ2から上昇に転じたという信号が届いた。それは、はやぶさ2が計画通りに着陸したという証拠。
「やったぞ!」
相模原市にあるJAXAの管制室はメンバーの歓声に包まれた。その様子を中継画像で見ていたプレスセンターにも拍手が広がった。
はやぶさ2から着陸時の画像が届くと、そこにはリュウグウの岩の破片が、着陸を祝う花吹雪のように舞う様子が写っていた。
念願の石の採取にも成功したとみられる。狙ったポイントから1メートルしか離れていない場所へ着陸できたことも分かった。
しかし、このとき津田さんの頭に心配事がよぎった。
「2回目はどうする?」
先代を超える「挑戦」の行方
はやぶさ2には、もう一つ重要な任務があった。
リュウグウに穴を掘ってクレーターを作り、小惑星の地下の物質を地球へ持ち帰るという、世界のだれもやったことがない挑戦だ。
クレーターを作る衝突装置は、直径約30センチの円錐形で、5キロものプラスチック爆薬が入っている。
爆発すると底に貼られた銅板が外れて飛び出し、ソフトボールくらいの大きさの球になって、秒速2キロという超高速で小惑星へ撃ち込まれる。
そのとき、探査機に装置の破片や石がぶつかれば一巻の終わり。
このため、はやぶさ2は高度約500メートルで衝突装置を切り離すと、爆発までの時間を使って一目散でリュウグウの裏側へ隠れることにした。
逃げ遅れたり、小惑星にぶつかったりすればすべてが水泡に帰す危険度の高い運用は、体操競技の難しい技に例えて「G難度」と呼ばれた。
さらに、もう一度着陸するとなれば、リュウグウの岩との戦いが待っている。
1回目の着陸でリュウグウの物質を得られたとみられ、「はやぶさ2の資産価値が上がった」(津田さん)。それでも新たな危険に挑むべきか、挑まざるべきか。
衝突実験の実施には異論は出なかった。
人類初の小惑星の物質を持ち帰ることに成功した先代の探査機「はやぶさ」もやっていない、はやぶさ2オリジナルの挑戦。
衝突装置を開発したメーカーの福島県にある工場は、2011年の東日本大震災で大きな被害を受けたが、職人たちが限られた時間に持てる技を注ぎ込み、作り上げた。
衝突実験には、全国の関係者の思いが詰まっていた。
衝突装置がはやぶさ2から分離されたのは、4月5日午前11時ごろ。
衝突装置の開発責任者でもある佐伯さんは、「小惑星に穴をあける前に胃に穴があくかも」と、落ち着かない様子ではやぶさ2から届くデータを見守った。
もう一人、緊張で表情をこわばらせているメンバーがいた。澤田弘崇・主任研究開発員だ。
澤田さんは、はやぶさ2が退避している間に、衝突実験の様子を撮影する小型カメラを開発した。
科学的な成果を上げようと後からデジタルカメラが追加され、缶ビールほどの小さな入れ物にアナログとデジタルの2台を詰め込むことになった。「(開発は)非常に苦しく泣きそうだった」(澤田さん)。
開発したカメラは、はやぶさ2が退避する途中で分離し、リュウグウの方向を撮影する。
分離してもレンズがリュウグウを向かないかもしれない。打ち上げから4年以上たち、きちんと起動するか分からない。撮影したデータが、退避中のはやぶさ2に無事届くかも分からない……。
しかし、はやぶさ2から届いたカメラの画像には、リュウグウからものが舞い上がる様子がはっきりととらえられていた。
衝突実験が計画通りにうまくいったのだ。
上空からの観測では、直径10メートルを越える大きなくぼみが観測された。
澤田さんは「声にならないほど感動した」と言葉を詰まらせた。
しかし、その後、思いもよらぬハードルが待ち構えていた。
帰ってこられないなら0点
小惑星の地下の物質は、表面のものと何が違うのか。
表面にある石や砂は、太陽光や宇宙線にさらされる「宇宙風化」と呼ばれる現象によって、小惑星ができたころとは変質している。地下であれば風化していないと考えられる。
小惑星は、46億年前の太陽系ができたころの状態を保つ「太陽系の化石」と呼ばれる。だから、クレーターから噴き出た物質からは、1回目の着陸で得た石とは違い、より太陽系の起源に迫れる可能性が高い。
チームは、クレーター近くの噴出物が積もっているとみられる地点への着陸を目指し、再び周囲の岩の高さを細かく分析し、探査機の運用手順を考えた。
さらにTMを目標地点から3メートルに落とすことに成功した。
しかし、そこで「待った」がかかった。
はやぶさ2の運用を担うJAXA宇宙科学研究所の国中均所長が「100点じゃなくていい。60点で帰ってこないか」と、2度目の着陸の再考を求めたのだ。
国中さんは「1回目の着陸でサンプルが取れている。2回目をやらずに帰ってきてはダメなのかと『動議』を出した。地球へ帰ってこられなければ0点になるからだ」と話した。
リュウグウは相変わらず岩だらけ。探査機を失うリスクをおかしてまで着陸する意味はあるのか。
先代はやぶさでも、2回目の着陸後に燃料漏れを起こし、地球との通信が一時途絶えた。
1回目の着陸で舞い上がった砂は、はやぶさ2のカメラや高度計を曇らせ、感度が落ちていた。国中さんは「1回目の着陸を上回る危険性がないことを数字で示せ」と迫った。
チームは、計画のデータをすべて再計算し、着陸で想定されるあらゆる条件を盛り込んだシミュレーションを10万回も実施した。そして失敗確率を0%に追い込んだ。
津田さんは「かじを切ろうとするときにアンチテーゼ(否定的な意見)を示してもらうことは重要だ。それに答えられるだけの理由がなければ、そもそも着陸に挑戦できなかった」という。
他国が追いつけない「成果」
挑戦の日は7月11日。リュウグウ到着から1年、すでにチームはリュウグウも探査機も知り尽くしていた。
午前10時すぎ、降下していた探査機が予定通り上昇に転じたという信号が届くと、管制室の津田さんは佐伯さんと抱き合った。
着陸地点は狙った場所からたった60センチ。
完璧な着陸だった。
記者会見で「(今回の着陸は)何点ですか」と問われた津田さんは、少し悩む様子を見せた後、「100点満点中の1000点」と答えた。
実は、これは隣の佐伯さんが耳打ちしたもの。
2人は打ち上げ直後から探査機の運用技術を習熟するための独自の訓練法を開発し、リュウグウに着いてからは難敵を攻略するために毎日議論した。
重要なミッションの前には験を担ぎ、一緒にとんかつを食べた。
「全部うまくいって、あっけなく感じる人がいるかもしれないが」と問うと、佐伯さんは真顔でこう言った。
「絶対に失敗できないプレッシャーがあった。白鳥も優雅に泳いでいるように見えて、水面下では必死に足をかいている。私たちも、この1日の運用のために、その何百倍もの検討をしました」
米航空宇宙局(NASA)も今、同じように小惑星を探査している。
しかし、向こうが石を取るのは1カ所だけ。科学チームの代表、渡辺誠一郎・名古屋大教授は「1回の成功だけでも大きいが、地下のものも持ち帰れば、20年くらい他国が追いつけない探査になる」と自信を見せた。
はやぶさ2は今年、間違いなく新たな歴史を作った。
「ワンチーム」だからこそ…
1年半前に及ぶリュウグウとの戦いを終えたはやぶさ2は、12月3日、主エンジンのイオンエンジンに点火して地球へ向かう巡航運転を始めた。
エンジン稼働を確認したプロジェクトチームは、ラグビーワールドカップの日本代表チームにあやかり「“ONE TEAM”HAYABUSA2」という紙を手に集合写真を撮影した。
1回目の着陸成功後、記者会見で照井さんが「完璧な精度での着陸を成功させたこのチームを非常に誇りに思う」と話したように、憎たらしいほど過酷なリュウグウを克服できたのは、600人のメンバー一人一人が、あきらめずベストを追い求めたチームワークがあったからこそだろう。
その一例を紹介したい。
2回目の着陸に向けてTMを落とそうとしたとき、高度計のトラブルで投下できなかった。
しかし、「着陸は難しいものの地下の物質が多く積もっていそう」と考えられていた地域の低空での撮影に成功した。その画像からくわしい地形を分析した結果、着陸場所がそこへ変更された。
撮影できたのは、カメラチームと運用チームの連係プレーのおかげ。
運用チームの武井悠人・研究開発員は「失敗してもただでは帰ってこないぞ、と撮影計画を仕込んでおいた」、カメラチームの杉田精司・東京大教授は「トラブルによる降下中止では、探査機の軌道を予測できないので、あの画像が撮れたのは本当に運が良かった。しかし、あそこまで準備すれば、運もついてくるんだと思った」。
この画像によって、小惑星の地下の物質を確実に得ることができたわけだから、運をたぐり寄せたチームの力はただものではない。
もう「一人」忘れてはならないメンバーがいる。はやぶさ2だ。
地球から遠く離れた宇宙で、独りぼっちで健気に頑張った。「はやぶさ2はチームの仲間の一人。着陸の瞬間、本当によくきちんと対応してくれた。仲間としてありがとうと言いたい」(津田さん)。
はやぶさ2は2020年12月ごろ、お宝を携えて地球へ帰ってくる。
津田さんは巡航運転開始に合わせ、こんなメッセージを公表した。「地球人の皆様、ただいまリュウグウからのお届け物を発送いたしました。お渡しは約1年後になります。責任をもってお届けいたしますので,大きな期待と少しの心配とともにお待ちください」
2020年は、はやぶさ2の旅のラストスパート。「ワンチーム」の集大成を見守りたい。【永山悦子】
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2019-12-30 03:15:00Z
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